「一春ちゃん、居るー?」
いつもの午後。
マンションにはさんさんと日が差し、暖かく柔らかな光に包まれている。
稲葉硝は、古神一春の部屋のドアを開け、言った。
「あのさー、給料でたから皆でご飯食べに行こうって話になったんだけど・・・
誰だ、アンタ」
そこにいたのは見知らぬ男。
デニム生地のエプロンを着てミトンの鍋掴みをはめ、
湯気の立ち上るシチュー鍋を持っている。
黒のロングを後ろでまとめ、無精髭のなかなかハンサムな男だが、
着ているテディベアのトレーナーが恐ろしく似合わない。
「あ、こんにちは」
「いや、だからアンタ誰よ」
「はぁ。私に見覚えがありませんか?」
「いや全然まったく」
男はがっくりと肩を落とした。
「あー、兄貴」
一春と一春の従兄弟の古神千里こがみせんりがぱたぱたと 駆け寄ってくる。
稲葉は彼らに問いかけた。
「誰、コノヒト」
「んー・・・・・M川の橋の下で拾った
「生き物を簡単に拾って来ちゃダメって教えただろう。元の場所に返して来なさい」
そう言う問題でもないと思うのだが。
「えー・・・・・けどもうなついちゃって。いいでしょ、兄貴」
「他に飼い主さんが居るかもしれないだろう」
「ちょっと待ってくださいよ。私ゃ犬ですか」
謎の男がストップをかける。
「なんか、名前も職業も住んでた住所も全部覚えてないらしいですよ。
腹が減ってぐったりしてたんでサンドイッチあげたらついてきたんです」
千里が答えた。
「なんで、シチューを作ってんの?」
「オレが頼んだー」
一春の感覚はときどきおかしいと稲葉は思う。
(育て方が悪かったんだろうか・・・・・)
「さっき味見してみたけど、全く普通の味でしたよ」
「むしろウマい」
「どれどれ・・・・」
男の差し出した小皿の中身を啜り、稲葉は唸った。
ウマい。
奥様方が失敗しやすいホワイトソースはきっちりと作られている。
人参、ジャガイモ、タマネギの煮込み具合も絶妙。
固すぎず柔らかすぎない。
「あのー・・・・味はいかがでしょうか」
男がおずおずと聞いた。
稲葉は小皿を返し、いつの間にかシチュー鍋をコンロに戻していた男の手を
しっかりとにぎる。
「ウマいよコレ!ウマすぎ!いったいどうやって作ったんだよ?コツ教えてくんない!?」
「あ、ありがとうございます。えーっと、これはですねぇ・・・・」
いつの間にやらお料理談義と化す古神家。
皆で盛り上がっていると、そこにアランがやって来た。
「・・・・ショウ、遅いよ。ていうか誰それ」
「記憶喪失の行き倒れ」
「なんだか不幸な固有名詞がついてるね」
しかも二つも。
「今日から201号室に住む事になったらしいです」
「皆さんのお役立ち家政婦としてがんばりまーす!」
ぱちぱちと拍手が起きる。
「名前はどうしよう」
「山田花太郎」
「どこぞの死神漫画ですか」
「ヘンリー」
「この人はどっからどう見ても日本人だと思う」
「古神雅人」
「アンタの伯父さんの名前でしょうが」
「大丈夫だよ、二人居るなら1人はいらないでしょう?」
恐ろしくブラックな笑みを浮かべる一春。
稲葉はこの前の一春の授業参観を思い出した。
何も言わない、事にした。(すいません、この話は後程・・・)
結局一春がインターネットで検索し、適当な名字と名前を付けた。
麻希春哉あさきはるや
名前が決まってめでたいぞ、よしなんか食いに行こうぜとはしゃぐ
馬鹿共をちらりと見てアランがひと言。




「警察には、言わなくて良いの?」




「アランさん、このチャンスを逃したら後が無いよ」






家政婦は、近頃数が足りないのです。